懐かしの終着駅 鍛冶屋駅

久々に旧鍛冶屋駅に行ってきました。

鍛冶屋駅キハ30と妙見山鍛冶屋駅跡にはキハ3069とその長さ分のホームと線路が残っています。駅舎は復元されたものです。

ホームから廃線跡の遊歩道

鍛冶屋駅ホームから廃線跡の遊歩道

鍛冶屋線跡には市原駅跡にもキハ30が保存されています。このキハ30たちはどのようにしてここに置かれたのか気になっていましたが、どうも他のサイトなどの情報によると最終列車で使われた車輌だそうです。市原駅のは道路の位置からして少し動かしたようですが、鍛冶屋駅のはホームとその先の遊歩道との位置関係から最終列車でついたときのままのようです。

鍛冶屋駅現役当時からの桜の木か

鍛冶屋駅現役当時からの桜の木か

車庫に帰ろうにも線路を外されポツンと残されて早20余年。廃線後に生まれた子が既に成人し鉄道の記憶も少しずつ少しずつ消えていこうとしています。時の流れの中、このキハだけは廃止のそのときから時が止まっているようでなりません。もう一度エンジンをかけて線路の上を走る・・・かなわない思いだとしてもせめて町の記憶から消えてしまうことのないように、これからも此処で桜の木と伴に町を、そしして行き交う人々を見守り続けるのでしょう。

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神戸海岸通

魔法少女オンリー「マジカル☆フェスティバル」に行ってきました。

そちらについてはmixiの方でということで、ここでは後で回った神戸海岸通を取り上げたいと思います。

神戸海岸通といえば旧居留地と神戸港港湾施設、ポートタワーなどみなと神戸のシンボルが集まる通りです。

国道2号線でもあるので交通量も多いです。

海岸ビルと商船三井ビルディング商船三井ビルディング海岸ビル

神戸郵船ビル神戸郵船ビル

神戸郵船ビル海岸通側神戸郵船ビル海岸通側 (さらに…)

廃線 それから三木鉄道石野駅

加古川線の「見る見る速い」の撮影のあと廃線になった三木鉄道石野駅を久々にたずねてみました。

駅舎もそのままで駅そのものに変わったところは余りありませんでした。強いていうなら駅入り口上にあった駅名が記されたプレートと離れてあったといれに燃えたあとがありました。

構内は線路も残っていますが、駅の両端から先は撤去され、特に厄神側は数百メートル先で重機で道床も崩されて枕木が積み上げられてしました。進捗は遅いみたいですが徐々に撤去が進んでいることは確かなようです。

折角なので写真を2枚

三木鉄道石野駅跡110503↑1枚は廃線じゃないと出来ないレールの上にカメラを載せて撮ったもの

石野駅跡の野花もう1枚はバラストに根を下ろした野花です。

自然はたくましいものでバラストばかりで栄養の少なさそうなところでも懸命に根を下ろして花を咲かせています。

でも重機がそこまで来ているので来年は・・・

かつて列車が走っていたこと その跡に逞しく可憐に野花が咲いていたことを残しておきたいと思います。

北沢産業網干鉄道廃線跡巡り

廃線跡というのはあれどレールが残っているところは少ない。

つい最近であれば三木鉄道は廃線1年経っても残っていましたが、今は既に撤去されています。

北沢産業網干鉄道はいろいろな情報にもあるようにレールの残っている数少ない廃線です。

もっとも全線に残っているわけではないのですが。

網干駅南側を降りると、ロータリーと接して駐車場があります。ここに使われてきた機関車が保存されています。

廃線跡は、網干駅から総合車両所に向かった先から始まります。

北沢産業網干鉄道レールの始まり

北沢産業網干鉄道廃線跡始まり

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地図の印のあるところからレールが残っています。ちょうど行くと地元の親子ずれが散策しているところでした。

どうも地元の方は農作業や散策路として通っているようなので、気をつけつつ進んでみました。

網干鉄道廃線跡に張り出す木

カーブ地点にある木。列車が走っていたころからあったのだろうけど、気づけば線路敷き側にまで張り出しています。

ここまで大きく張り出すほど廃線から年月が経ったことが分かります。

カーブする線路敷き

地図の地点から見た線路敷き 緩やかな左カーブを切っていきます。

所々に北沢産業の看板がありますが、線路敷きに物を置くな!という注意書きです。当然と言えば当然ですね。何処かの国ではありませんが、既成事実を作られて気づけば無くなっているのは最悪の状態です。

線路敷きは通り道

ただ地元の方の通り道にはなっているようです。遠方が霞んでいるのは黄砂の影響です。

廃線から時間が経っているので枕木が朽ちている物も多々見受けられます。もっとも、残った枕木や朽ちた木の量からして元々枕木の本数も少なかったようです。網干鉄道の線路規格はそんなに高い物ではなかったようです。

枕木の間のテントウムシ

これからどんどん寒くなるのに、枕木の間にテントウムシがいました。色と横にある抜け殻からまさしくテントウムシになった直後のようです。

線路敷きのコスモス

郊外の廃線跡でも列車が通らなければ草が生え自然に埋もれていきます。廃線跡に咲くコスモス

このコスモスは列車が通っていたことは知るよしもないのだろう。

この先直線になって300mほどいくと比較的新しい住宅にぶち当たります。

途切れるレール

下の地図の地点です。

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住宅の先は東芝の工場脇を進みますが、この先は工事中で跡形無く消えそうな予感です。

今回は時間の都合ここまでです。本当は終点まで行って山陽網干から姫路に戻ろうと思ったのですが、午後から出発しては流石に無理ですね。

最後に

廃線跡横にこんなのが倉庫として使われていました。

ワム80000形かなと思ったのですが・・・

貨物1貨物1-2

夏っぽいけど実は4月の三河田原駅 渥美線廃線レポ2008

豊橋鉄道三河田原駅を望む

2008年4月20日に豊橋鉄道の廃線区間を見に行ったときの写真です。昨日長らくブログの上を飾っていた21020系アーバンライナーnextに替わってちょうどいいサイズのものを探していたらこの豊橋鉄道渥美線三河田原駅になりました。折角なので豊橋鉄道渥美線の廃線跡レポ(2008年の頃)をしてみました。

下は終点のお決まり車止め付き。ちなみにむかーし昔はこの車止めから先があったそうな。確かにそれらしき道が続いているがその先には工場が・・・。そして川も。

三河田原駅線路の終端車止め

線路の先には

車止めの先は市街地化されて痕跡は殆ど残っていませんでした。川を渡った対岸に急坂を上るそれらしき道がありました。下に先ほどの工場が見えます。↓

豊橋鉄道廃線跡と思われる道

実際歩くと結構急な坂でした。当時はどのように上っていたのか不思議です。もしかしたら迂回路があった。それとも駅を出てから徐々に築堤で高度をかせいでいたのだろうか?

坂を登り終えると雑木林や畑に囲まれた丘陵地を進んできます。大半が砂利道です。

豊橋鉄道廃線跡の道

途中境界標がありました。↓

廃線跡の豊橋鉄道の境界標

この先も砂利道がひたすら続いて行くのかと思えば途中から普通の舗装道路に変っていました。車の走るところ、かつて戦前には列車が走っていたそうな。今となっては昔々のお話↓

豊橋鉄道渥美線廃線跡の道を望む

三木鉄道記念公園竣工

2008年3月31日に廃止となった三木鉄道の三木駅が三木鉄道記念公園になり今日竣工を迎えました。

午前10時から式が始まり市長?をはじめ市の関係者の挨拶の後、三木中学校吹奏楽部の演奏などが行われました。会場にはフリーマーケットや地元農産物の即売、商店街の出店などが周辺住民や市内外からの人でにぎわいました。竣工式の取材に神戸新聞やNHK、MBSが来ておりました。

鉄道関係では、旧駅舎内に三木鉄道で使われてきた物やゆかりの品々、鉄道模型の走行会が行われました。また、神戸電鉄と三木鉄道の出店が出店し、神戸電鉄からは新型車両の時計やBトレ、キーホルダーなどが三木鉄道からは車内放送CD、キーホルダー、最終日の記念往復乗車券、最終日のサボ、各種腕章、運行票などが販売されました。三木鉄道の販売担当者によると今回は偶然呼ばれたので販売できたが次回の販売は未定とのこと。

今回の竣工式で記念公園は一応の完成となりますが、公園西側は未整備が残っています。構内のレールやホームは撤去されていますが、一番南側の貨物側線が残されており、なんでもトロッコが走れるようにするとかしないとか。いずれにしても残すのは間違いないようです。

以下は現場の写真です。

三木鉄道記念公園要人挨拶三木駅構内の信号機残された側線三木駅から厄神方向錆び付いたレールと野の花残された側線お約束の車止め運行票