渓谷をゆく茜色~播但線の秋

播磨と但馬の国境に秋を求めて播但線非電化区間に出かけてきました。
今回は寺前から先、平清盛やノルウェイの森で有名になった砥峰高原へ行く道を長谷で曲がらずにまっすぐ市川に沿って行った渓谷沿いです。あるサイトで廃線跡とトンネルに触れている区間ですね。
播但線キハ41下り235Dその廃線と現在線の分岐点あたりの下市川橋梁付近でまずは下り235D。
播但線キハ41上り1234D暫くして上り1234D
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復活!? 鍛冶屋線市原駅

鍛冶屋線市原駅復活!?

鍛冶屋線は20年前に廃線となり、その後は元々走っていた神姫バスの路線バスが引き継いでいます。事実上の代替バスなのですが、元々の路線バス経路なので駅を代替しなかったバス停が存在しています。その1つが市原駅。元の市原駅は国道から少し入った位置にあったためバス道から外れるために駅のあった場所と停留所はかなり離れていました。
この度、10月1日の多可町コミュニティバス改正で西脇市内停留所が増設されて経路となっていた鍛冶屋線跡の道にも停留所にも3カ所新設されます。その一つが市原駅記念館停留所です。ちょうど旧市原駅のホーム跡に設置されています。また代替道路に作られていたバス停車スペースの凹んだ部分も名実ともに利用されることになりました。バス停とはいえ市原駅の名前が20年を経て復活したことになります。


ちなみに、この10月1日のダイヤ改正と同時に、西脇市と多可町とその周辺地域発着路線の一部(社~西脇)が神姫グリーンバスに移管されるようです。移管に伴うダイヤ変更は多可町コミュニティバス以外は無いようです。

神姫バス
多可町コミュニティバス


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ミニ鉄道はコトンコトンと小さな車体を揺らして駅と町を結ぶ

JR御坊駅と御坊市街を結ぶ紀州鉄道。一昔前までは所々でみられた市街から離れた国鉄駅と市街地を結ぶローカル私鉄がここにはある。
元々の規模が小さく速度も決して速くなかったためにモータリーゼーションの影響をもろに受けて次々と姿を消していった。和歌山県内でも野上電鉄や有田鉄道などの路線があったが廃止となり姿を消した。そんな中今も現役で走り続けるのが紀州鉄道です。紀州鉄道御坊駅0番線停車中のキテツ1
和歌山からの普通列車の折り返し駅 御坊。和歌山市の都市圏でありJR広い意味での都市周辺輸送の末端がこの駅です。その御坊駅0番線ホームが紀州鉄道のプラットホームです。隣にJRの特急が停まる反対側に小さな2軸レールバスが停まっていました。

このレールバスは元々兵庫県の北条鉄道で走っていたフラワ1985形で、同線にフラワ2000形が入ったことにより廃車されてそのあと紀州鉄道にやってきてキテツ1形1となった。左がフラワ1985-1左が北条鉄道時代のフラワ1985-1(今のキテツ1形2)
キテツ1運転台 (さらに…)

失われたレールを求めて 尼崎港線とナローゲージ

通過すれど降りたことの無い駅や訪れたことの無い街って結構あると思います。

尼崎もそんな駅のひとつでした。神戸方よりJR尼崎駅に進入する時に尼崎港線の築堤が見えていたので一度は見てみたいと思いつつ時間が経ち気づけば崩されてなくなってしまいました。

今回は阪神尼崎から南に工場地帯で活躍する現役ナローと偶然にも見つけたかつての臨港線跡を少しばかり巡ってみました。

まずは公道渡るナローゲージから

寒空に小雨が降るなか尼崎駅から南に向かう県道54号を工場地帯へ。あたりは国道43号線を過ぎ旧左門渡川を渡ると住友金属の工場群に。通る車は工場地帯なので当然トレーラーなどの貨物車が多い中、湾岸線経由で関空と尼崎を結ぶリムジンバスもそこそこ通ります。

暫く行くとグーグルマップでも線路が公道を渡っているのを確認できる地点に到着。到着前に住友金属の工場入口に「工場休業日」の札がかかっていたので余り期待はしていませんでした。もし通らないのであればその先の跳ね橋とか他の路線を探してみようという気でいました。もっともこれは杞憂に終わったわけですが・・・尼崎工場地帯のナローゲージ

ナローゲージが横切るところでレールを見ると、なぜか5円玉が。もしやこれは何かの暗示かと思っていると西工場の奥から汽笛が!もしやと思うとゴロゴロゴロと工場の奥から小さな機関車が鋼管を積んだ貨車1両引っ張って進んで来ました。濱本ジェネラルコーポレーション機関車登場



道路の手前で一旦停止して別の係員が信号を操作。注意喚起が流れる中ゆっくりと小さな4号機関車と貨車は公道を渡って東工場に入っていきました。

もともとが専用線で工場敷地内でしか見られない場合が多かったのであまり目立たない上、最近はトラックや工場の撤退でますます少なくなり今となっては関西でここだけのようです。現役ナローゲージとしても超希少種ですね。あるい意味軽便の特性をいかした運用をされているように思います。

よく見ると隣の向上の敷地にもレールが、しかし途中で切られているので今は使われていないのでしょう。グーグルマップにもそれらしい線が表示されていますし失われたレールがもっと活躍していた頃を思い起こさせます。

このナローゲージを運営されている株式会社濱本ジェネラルコーポレーション様のHPを見るとしっかりと専用線の機関車の壁紙があり大事にされていることが伺えます。これからも活躍していくことを願わすにいられません。

まだ続きます↓

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とれいん3月号 播州織糊付け工場の軌道

2月21日発売の「とれいん3月号」(株式会社エリエイ)に連載中の「線路は続くよいつまでも」第19回(信沢あつし著)に当ブログが掲載されました。

とれいん 2012年 03月号 [雑誌]

記事に掲載されるきっかけとなったのは2010年11月28日の「播州織工場跡に残るレールと鍛冶屋線市原駅お色直しキハ30」です。

このサイトも19ヶ月目。本当はその前からしていたものの何度かデータを吹っ飛ばしてしまったので現在残っているのはこの期間です。他に前身となったサイトも現在も残しております。多くのブログがHPがある中で、こうして見ていただいてお役に立ちそして掲載していただけたのは嬉しい限りです。

このブログの記事見つけてそして記事に記して頂きました信沢あつし様には改めて御礼申し上げます。

↓こちらもよろしくお願いします。

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そこはかつての線路の終り 陸と海を繋ぐ場所 ~高砂線~

加古川線系の路線の中で最も南に位置していた路線が高砂線

かつて加古川の水運に替わる輸送機関として位置づけられた高砂線を始めとした路線は川にほぼ平行して路線が敷設された。高砂線は内陸の物資を高砂港から海運に引き継ぐ路線であった。内陸との貨物のやり取りがなくなっても、高砂線は臨海工業地域の路線として貨物の輸送は続いていたがモータリゼーションや貨物の縮小に伴って加古川線のグループでは最初の1984(昭和59)年に廃止された。

高砂線加古川橋梁跡を望む今回は加古川右岸から高砂港までを辿った。

加古川右岸 加古川には何も残っていないが隣の道路にはコンクリート橋が遊歩道として使用されています。

高砂線朝日町架道橋銘板下の道路に回ると銘板が見れます。大阪鉄道管理局とあります。

山陽電車高砂駅前高砂北口駅跡上は山陽電車の高砂駅 右側の建物の裏が下の写真で高砂北口跡から加古川方を望む。

廃線跡は山陽電車の高砂駅前の建物の裏を自転車置き場となって進みます。ここはかつて高砂北口駅がありました。

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