鉄道
すでにTwitterで流れたとおり
昨日の神戸新聞トップの第1面左下にあった記事です。
名称的にはOKなんですが、タンゴエクスプローラーの廃止は気になりますね。
実際にタンゴエクスプローラーと文殊がなくなると新大阪発着のKTR乗り入れ特急がなくなってしまいますが、このことからも舞鶴若狭道の無料化の影響が大きいのでしょう。ただ収入源となる特急をなくせばKTRはさらにしんどくなりそう。
一方でタンゴディスカバリーはどうなるのでしょうか。特急「まいづる」については今のところアナウンスがありません。あと、「はしだて」もです。京都発着は残すということでしょうか。無料化の影響なら京都縦貫道と並行する山陰線も変わらないと思うのだが。
あと、気になるのがKTR宮福線および宮津線の福知山~天橋立の電車乗り入れがこのままだと「はしだて」だけになっちゃいます。「はしだて」だけの電化設備なら乗り入れ廃止して電化を撤去したほうがコスト減らせるのではないかと思うのだけど。
来年は新大阪発着便、その次位で京都便も危ういと思うのは杞憂か。これは道路のように一時的な実験で終わるのか 気になると事です。
参照:特急「こうのとり」に名称変更へ JR西「北近畿」
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2010年10月9日 23:22|
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10月1日から新体制に移行する神戸高速鉄道。
駅名板も架け替えられるというので、昭和の名残を求めて訪ねてみました。
西元町駅東口
神戸高速鉄道。
個人的には、震災前、自分は明石に住んでおり親戚が新開地だったのでよく山陽電車で新開地まで行っていたこともあって馴染み深いものがあります。震災後は双方ともに街を離れてしまい、大学に入るまでしばらく遠ざかっていました。大学に入ってからは、数度通過した程度でした。
大きく変わったのは3年前、今の仕事についてからです。
偶然にも客先の最寄が西元町だったということと、会社事務所が鈴蘭台にありましたので、鈴蘭台~新開地~西元町などをよく利用するようになりました。95年の震災からもはや15年、崩壊した大開駅が復旧してからもそれだけ経ったわけです。ですが、震災を経ても神戸高速線は昭和の雰囲気が色濃く残っていました。確かに、LEDの到着案内や新路線、券売機、案内地図、よく見るとだいぶ変わった物もありました。それでも、変わって来なかったのが今日の写真のものです。
新開地や神戸高速のホーム上に釣り下がっている駅名板
壁埋め込みは変わっていると思います。はじめはこうだった記憶がありませんし綺麗ですから。しかし、釣りタイプはどう見ても昔のまんまです。
壁埋め込みの駅名板
西元町駅。
上りホーム 行き先案内と広告の上部が隠れてしまっています
カーブした駅構内です。カメラの性能もありますが、実際にもやや薄暗いホームで、駅ホーム全体がどこか古臭い雰囲気です。特に壁のタイルの色が昭和チックです。昭和を題材にした映画で使えそうな感じです。似たような雰囲気の駅としては、やはり以前名古屋に居た時の最寄駅だった東山線亀島駅も同じような時間が止まったような駅でした。東京では銀座線も古い・・・実際にふるいのですが、人の数が多くて列車も綺麗なのでちょっと違った感じです。東山線と神戸高速は前者はちょっと色褪せたアルミ車体、後者は5500系以前のジェットカーが駅の雰囲気とあっていい雰囲気をかもし出していると思います。
西元町駅構内
ただ、やはりライフラインとして利用する側から見れば時代が止まった感は古臭い=時代遅れとあんまりいいイメージに結びつかないように思います。いかにも儲かっていませんみたいに見られても仕方ないでしょう。実際のところ、神戸高速線の課題は雰囲気のレベルではないのですが、イメージというのも大事なものです。
10月1日より駅名板が一新されるニュースが一新されるというニュース。またひとついつもの風景が思い出になってしまう寂しさとともに、止まっていた針が動き始めたワクワク感が入り混じった気持ちです。これからどうなっていくのか。これからが楽しみです。
参考
阪急阪神ホールディングス
神戸高速線における鉄道事業許可の変更について
阪神電気鉄道
2010年10月1日(金)、神戸高速線が新たに生まれ変わります!
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2010年9月25日 21:41|
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第3加古川橋梁工事状況1の続き
新西脇駅側、和布第一踏切から第三加古川橋梁を望む。
緩い左カーブの現路線に対して新橋梁はまっすぐ進んで橋手前でカーブして新橋梁にアプローチしている。よく見ると新橋梁の入口付近もやや曲線を描いているのがわかる。路盤はPC枕木とレールが組まれているがまだしっかりと固定されておらずバラストも完全に敷かれていない。写真をよく見ると新橋梁の上にはレールは敷かれていない。なお、橋梁進入手前に架線柱用の穴が用意されています。
こちらは橋を南側から見たところ。川の合流部分の橋なので長いです。
新橋梁のトラス部分に架線ビームを固定する基盤が見られます。
北側から見たところ。新橋梁はワーレントラス橋を活かして橋脚は2本です。向こう側に現橋梁の多数の橋脚が見えます。
しかし、山陽本線(神戸線)の加古川橋梁もびっくりな立派な橋です。もしかしたら色が同じかな。
西脇市駅側から見た様子。手前のカーブ部分で新橋梁に向かう線路が分岐していくところとなります。今のところは写真の左端より手前は枕木が置かれレールは枕木の片方に寄せられている状態です。こちらから見ても新橋梁上にはレールは敷かれていませんし橋梁へのアプローチ部分には架線柱を立てる穴も見あたりません。
反対から見たときもそうでしたが、よーく見ると新西脇側の橋梁上の軌道がカーブしているのが見てとれます。
現橋梁は西脇市側に渡ったところに大きなカーブがあり、西脇市から橋にかけて大きくSカーブを描いていますが、新橋梁は橋手前部分が北側に移るのでカーブはだいぶ緩和されそうです。もっとも、西脇市駅側は場内信号がありますし、新西脇側もカーブとともにすぐに駅なので速度的にはあまり変りそうでなさそうです。
ここまでが第3加古川橋梁のレポートです。
西脇市駅を出てから約1時間。うろうろしていたので1時間掛かりましたが、途中に大きな坂もないので実際まっすぐ歩いてこればそんなに時間は掛からないでしょう。
ただ、最短の橋となる野村橋が架橋工事中(壊すだけ壊して完成不明)なのでちょっと通り周りしないといけなくなっています。
戻って来てところ、ちょうど加古川行きの103系「走れ!Y字路」が出発するところでした。
このあとカナートに寄ると、屋上駐車場が使えたのでそちらにとめると、ちょうど橋梁が見えるでは!
時刻表を確認すると暫くして先ほど乗った列車が折り返しで戻ってくるのが分かったので暫く待って撮ったのがこれ。
トラスが車両の全面に掛かっちゃってますね。カメラでは確認できなかったのです。やっぱり一眼レフの望遠じゃなきゃこの辺はしんどいです。
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2010年9月22日 00:27|
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2008年4月20日に豊橋鉄道の廃線区間を見に行ったときの写真です。昨日長らくブログの上を飾っていた21020系アーバンライナーnextに替わってちょうどいいサイズのものを探していたらこの豊橋鉄道渥美線三河田原駅になりました。折角なので豊橋鉄道渥美線の廃線跡レポ(2008年の頃)をしてみました。
下は終点のお決まり車止め付き。ちなみにむかーし昔はこの車止めから先があったそうな。確かにそれらしき道が続いているがその先には工場が・・・。そして川も。
車止めの先は市街地化されて痕跡は殆ど残っていませんでした。川を渡った対岸に急坂を上るそれらしき道がありました。下に先ほどの工場が見えます。↓
実際歩くと結構急な坂でした。当時はどのように上っていたのか不思議です。もしかしたら迂回路があった。それとも駅を出てから徐々に築堤で高度をかせいでいたのだろうか?
坂を登り終えると雑木林や畑に囲まれた丘陵地を進んできます。大半が砂利道です。
途中境界標がありました。↓
この先も砂利道がひたすら続いて行くのかと思えば途中から普通の舗装道路に変っていました。車の走るところ、かつて戦前には列車が走っていたそうな。今となっては昔々のお話↓
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2010年8月30日 23:44|
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先日チキを引き連れてやってきたDE10 1152の工臨ですが、今日23日17時ごろ西脇市駅横の踏み切りを通るときに再び来ていました。先日の工臨の帰りのようです。
今回は先日と異なり2番線に入っていました。
↑西脇市駅2番に停車中のDE10 1152
↑2番線から入れ替えの為に西脇市駅南のポイント外へ移動
係員とDE10のライトがついていることから、もしやと思いきや遮断機が降り、踏み切りの列車の通過矢印が出ないまま2番線から一度踏み切りの南側のポイントより南の地点まで移動。一度遮断機を上げて車を通してから、1番線西側のチキが留まっている非電化の側線に入っていきました。
↑駅の南でスイッチバック入れ替えの為停車中のDE10 1152
側線に入るDE10 1152 側線は非電化なのでディーゼル機関車でないと入れません。
普段は1時間の2度または3度(谷川からの列車が来るときにも閉まる為)ほどしか閉まらないため、入れ替え作業中長時間閉まりっぱなしになり交差する道路は大渋滞しました。
なお、19時52分の上り列車が発車するときにもいましたので、それ以降かもしくは明日の出発だと思われます。
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2010年8月23日 22:45|
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