美濃赤坂の西濃鉄道の夏 その3 夏草茂る昼飯駅

美濃赤坂の西濃鉄道の夏その3です。今回は石引神社での撮影の後、廃線となった昼飯線を辿って昼飯の方に向かいました。
中山道を西に向かうと途中に使われなくなった踏切に差し掛かる。美濃大久保駅南方の踏切これが廃線となった昼飯線で写真は美濃赤坂方を写している。昼飯線は美濃赤坂駅南から分岐して美濃大久保駅で一度スイッチバックして昼飯に向かっていた貨物線。踏切から北に伸びる線路を辿って行くと雑草が茂ったやや広い敷地になり、その先に線路端に上屋と少し離れて倉庫のあるプラットホームがあった。美濃大久保駅構内を望むどうやらこれが美濃大久保駅だったようだ。かつての構内は一部を除いてレールが残されているようだが夏草が茂って見渡せなかった。プラットホーム部分は複線のようになっていて、どうやら貨物積み込みホームと機回し線になっていたようである。ホームの先にも少し線路が続いて壁にぶち当たっていた。美濃大久保駅プラットホームと上屋木々の成長を見ると休止→廃線となってからの年月を感じさせる。美濃大久保駅構内からまっすぐが美濃赤坂方面。右にカーブしていくのは昼飯方面

美濃大久保駅跡から昼飯までは先ほど進んできた中山道に沿って進む。線路跡沿いには石灰関連の工場が立ち並び構内の一部と化している部分もある。そうした部分や踏切だったところは埋められたりレールが外されたりしていた。

暫く進み地図上では昼飯駅のあっと地点近くまで来たはずなのだが、かつての駅に入る道がわかりづらい。これじゃないかと思われる住宅などに囲まれた脇道に入って進むとそこにあった。昼飯駅駅舎と構内美濃赤坂方昼飯駅駅舎。もう駅ではないので“かつての”が付くか。
駅舎入り口上には“昼飯駅”と書かれた木のプレートが架かっていて駅舎だった事がわかる。駅舎の後ろには物置として使われていたであろう貨車があった。昼飯駅構内構内は踏切部分の線路が取り除かれたほか、駅舎以外の建物も撤去されたいてレールだけが残された状態となっていた。線路には夏草が茂り特に末端部分は近づけないほどになっていた。線路末端部分から少し山側に向かう道を進むとかつての鉱山の建物が残っていた。この辺りには鉱山鉄道があったとの情報を入手していたので回りを見て回ったが、残念ながらこの時は見つけることができなかった。駅周辺はかつては鉱山関係で賑わっていたようだが、今では数件の工場と住宅が広がるだけで、かつての賑わいは過去のものとなっていた。
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美濃赤坂の西濃鉄道の夏 その1(全3回)

8月21日に訪ねた美濃赤坂にある貨物専業鉄道の西濃鉄道を3回に分けて、今回は美濃赤坂駅を出発するところまでをお送りいたします。
大垣までは毎度となっている大垣9時54分着。今回はここから東海道本線美濃赤坂支線に乗車して美濃赤坂を目指しました。
大垣到着から美濃赤坂行き10時38分発まで時間があったので改札前にあるドトールで軽くモーニングを摂る。ここのドトールは1週間後も利用しました。
大垣駅1215G10時38分。大垣駅西端にある切欠きホームから313系2連のワンマンカーに乗車し出発。きた道を戻るように南荒尾信号所まで下り線を走行したあとポイントを渡って単線に進入し直ぐに荒尾に到着。曲線上にあり2両に対してあまりに長くなってしまったホームが印象的。本線とは思えないほどの簡素な無人駅。駅を出ると直ぐに北よりの直線になり終点の美濃赤坂に向かう。ワンマン運転になった美濃赤坂支線だが、まだ慣れきっていないのか運転し以外に乗務員が添乗していた。ワンマン放送も音が割れそうなほど大きくて閑散とした車内には過剰な感じだった。
程なくして分岐があり広くなると終点の美濃赤坂に到着。美濃赤坂駅駅舎美濃赤坂駅構内駅そのものはとても東海道本線の終点とは思えないガランとしていたが、ホームの長さがかつて本線として名古屋方面への直通があったことを今に伝えている。
駅は無人となっているが事務所は人の気配がする。レンタル自転車の案内があったので折角なので駅事務所で尋ねてみると無料で借りることができた。撮影で来た旨を伝えると、「もうすぐ列車が来るよ」と教えてくれました。

美濃赤坂駅構内駅構内は旅客列車が発着する線路以外にも貨物ホームがを挟んで複数の線路があるが、実際使われているのは架線が張られた旅客線と貨物ホームの東側の3本だけのようである。矢橋大理石専用線跡駅東方を見て回ると専用線の跡があった。道路部分だけが残り駅構内側は撤去されていた。また工場敷地内も見た感じなく(気が付かなかっただけかも)大型クレーンのレールがクロスするかのように敷かれていた。
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四日市行き道中レポ往路 人身事故で名鉄利用

先日8月7日に行って来ました四日市の道中レポその1です。今回は四日市までとなります。
末広橋梁と内部線についての詳細はまた別にまとめたいと思います。

さて7日でしたが、行きも帰りもイレギュラーなことが起きました。行きについては米原までは当初の予定通りに進行しました。が、米原からが大変でした。米原で大垣行き204F列車に乗車して暫くして枇杷島駅構内で発生した人身事故が知らされて、その時点で9時50分頃の運転再開がアナウンスされる。事故の影響からか途中駅の醒ヶ井、近江長岡、柏原の各駅には上り貨物列車が待避線に停車。垂井で後からくるワイドビューひだを退避。垂井ワイドビューひだ退避今まで乗ったときは休日ダイヤで米原から特別快速に乗っていましたが、この場合は近江長岡でワイドビューひだを退避していました。平日ダイヤでも運行時刻はほぼ同じなので待避駅は同じはずですが、今回上り貨物が近江長岡に入っていたため変更されたのではないかと思われます。
垂井から先ですが、大垣が近づくに連れて速度が遅くなり大垣には遅れて到着。そして名古屋方面の列車については再開していたもののダイヤはグダグダで大垣から岐阜まで臨時が運行されてそれに乗車。その臨時も遅れに遅れ特に岐阜駅手前で10分以上停車。なんでも先行していたワイドビューひだがホームを塞いでいるとか。結局岐阜駅到着は名古屋駅到着予定の10時28分を大きく過ぎて40分くらいになっていました。再開していると言われた東海道線も振替を薦めており振替票の配布が実施されていました。こちらは18きっぷなので無縁だったりします。急いでいたので不確かなJRより名鉄を選択し名鉄岐阜まで全力疾走。久々というかおそらく2度目の名鉄岐阜駅利用。名古屋方面の列車を見ると、10分待ちで11時02分発の中部国際空港行きの特急がありました。名古屋11時07分の快速みえに待ち合うかが気になったので駅員に確かめると30分くらいで着くとのこと。乗り換え5分は結構きついなと思いましたが懸けてみました。なお、名鉄乗車はスマートICOCAを利用しました。共通利用できるようになった恩恵に与りました。特急の車両は2200系(おそらく)でした。
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岡山 倉敷・水島へ

残り2回の18きっぷのうちの1回で25日土曜日に岡山、倉敷・水島まで行ってきました。
戦利品?は、岡山駅での南風アンパンマン列車とアンパンマントロッコ、快速ことぶき、115系3500番台混結+末期色混結、岡電momo2、西埠頭駅の荒れ放題、天和で出発待ちのシキ1000形かな。
相生駅223系新快速と115系岡山行き右の115系は2両目のパンタグラフの位置がユニット側にないことと窓配置から3500番台であることがわかる。7両編成で岡山方に末期色を3両繋いでいます。

南風アンパンマン列車南風「アンパンマン列車」
アンパンマントロッコアンパンマントロッコです。少し前までJR東日本に出張に行って被災地に笑顔と元気を届けに行っていました。
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房総に加古川線と粟生線を見た キハに揺られて久留里線

千葉県房総半島にある非電化ローカル線「久留里線」
今となっては首都圏で数少ない非電化路線でキハ30形、キハ37、キハ38と言った既にここでしか走っていない国鉄型気動車が現役な貴重な路線です。そんな路線ですが遂に置き換えが決まりまして、かつてキハ37が走っていた加古川線沿との縁を感じつつ訪ねてきました。
久留里線木更津駅
久留里線は内房線の木更津駅より始ります。木更津は千葉市から内房線に揺られて40分くらいの街。東京から千葉が総武快速線で40分ちょっとなので東京まで総武線直通快速で80分ちょっとでいける。距離が異なってくるが東京駅を大阪駅とすれば千葉が三ノ宮か神戸、木更津は加古川と言った感じだと思う。それは沿線の雰囲気からも感じ、東京から千葉は一面の市街地と住宅地の中を駆け抜ける一方、内房線にはいり蘇我を過ぎると浜手にはコンビナートや製鉄所の高炉が見えたりする一方、内陸側は住宅地もあるが田畑もそこそこあって郊外の様相を呈している。大阪から走ってきた新快速が大久保を過ぎた途端に田んぼと畑の中を走る感覚に似ている。

さて久留里線ですが、木更津駅を出発する線形も加古川線に似ていて加古川線が大阪側に向けて出発するのと同じく千葉側に向けて出発して分かれていく。乗車した列車は木更津駅9:15発上総亀山行き927D列車で上総亀山方からキハ38+キハ37の組み合わせ。乗車したキハ37の車内は地元住民のほか鉄道ファンや帰省客の姿も見られたものの長いロングシートにはまだ隙間も見られる状態であった。途中駅で徐々に減っていき途中の馬来田で目立って減った。途中横田で下り列車と交換。ついこの春まではタブレットの交換が行なわれていた。
久留里線と国道410号線久留里線はほぼ全線が国道410号線と並行し何度か交差する。また、東京湾アクアラインや館山有料道路、首都圏中央連絡道路など道路網が急速に充実している。乗っていると分るが、キハが車と併走しても信号がない限り大抵は列車が抜かれていきます。列車そのものもエンジンの換装は行なわれて強力になっているものの、全力で走っている様な気配は感じられずのんびりとした感じが強い。
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西脇市→東京、東京→西脇市乗車列車記録

青春18きっぷで西脇市と東京の往復に乗った列車です。帰りは大雨の影響で熱海から豊橋、米原から大阪のダイヤが乱れていた関係で列車番号や時刻が分からなくなっています。

8月12日西脇市から東京
西脇市1320S(普通)103系2両5:47発→加古川6:33着
加古川3202M(新快速)223系12両6:35発→米原8:56着
米原5110F(特別快速)313系8両9:14発→豊橋11:22着
豊橋〔列番不明〕(普通)313系4両11:25発→浜松11:59着
浜松786M(普通)211系3or5両(トイレなし)12:29発→興津13:59着
興津436M(普通)313系3両14:10発→熱海15:10着
熱海874M(普通)E233系15or11両15:18発→東京17:06着

東京→千葉 E217系

14日東京から西脇市
東京751M(普通)E231系7:53発→二宮9:09着
二宮755M(普通)E233系9:13発→熱海9:52着
熱海〔列番不明〕(433M30分遅れ島田行→静岡変更)313系10:16頃発車→静岡11:30着
静岡〔列番不明〕(浜松行続行)211系→浜松着
浜松〔列番不明〕311系4両→豊橋着
豊橋2535F(快速)313系15:03発→大垣16:31着
大垣241F(普通)313系4両16:37発→米原17:12着
米原813T?(普通 高槻から快速網干行き:20分以上の遅れ)221系12両→大阪着
大阪3513M(新快速:大阪始発に変更)223系12両19:30発→加古川20:23着
加古川1353S(普通)103系20:48発→西脇市21:26着

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