2013年11月壁紙&カレンダーはさよなら走れ!Y字路
2013年11月の壁紙とカレンダーは昨年横尾忠則ラッピングトレイン最後の1編成となった「走れ!Y字路」のラストランです。
1.通常版(4:3)
ダウンロード
2.ワイド版(16:10)
ダウンロード
3.カレンダー
A4サイズに合わせています。フチ無しでも大丈夫だと思います。
ダウンロ~ド
市駅の近くより北播磨の鉄道、公共交通、地域、アニメ、パソコンの話まで
10月2013
2013年11月の壁紙とカレンダーは昨年横尾忠則ラッピングトレイン最後の1編成となった「走れ!Y字路」のラストランです。
1.通常版(4:3)
ダウンロード
2.ワイド版(16:10)
ダウンロード
3.カレンダー
A4サイズに合わせています。フチ無しでも大丈夫だと思います。
ダウンロ~ド
2013年10月22日で西脇市駅は開業100周年になりました。
100周年記念イベントは先日土曜日に行われていましたが仕事のため行けませんでした。新聞などによると100周年記念ヘッドマーク付きの列車が出発式が行われて発車されたようです。他にも駅前で色々な販売もあったとか。
今日は平日ということもあり特に何もなかったようです・・・というのは思い出したのが夜で駅に行ってなかったので分からないのです。
加古川線系の100周年は直近で北条鉄道北条線全線開業100周年が約1年半後の2015年3月3日。加古川線全線開業100週年がだいぶ先の11年後の2024年12月27日なのでその頃には103系はいなくなっているかもしれません。
今朝19日付け神戸新聞の北播面に掲載の西脇市駅西口整備に関する記事より思ったことを書き綴って見ようと思います。
西脇市駅は西脇市駅野村町にある西脇市の玄関となる駅です。かつては鍛冶屋線の西脇駅が街の中心にありこちらのほうが駅の規模も大きく賑やかだったそうですが、路線の廃止に巻き込まれて消滅。結果として野村駅が西脇“市”駅となりました。
市街の南外れにあたり黒田庄方面への唯一(札場行きバス除く)の公共交通機関とはいえぶっちゃけ1日9往復では余りに使えないのが実情。南へは隣駅が加東市で市外。市内の核を至らなくなり市街地を南北に結ばなくなってしまっているので市内移動には誠に使えない。まさしく市外からの玄関駅!
[googlemap lat=”34.972065″ lng=”134.969067″ align=”center” width=”300px” height=”150px” zoom=”17″ type=”G_HYBRID_MAP”]兵庫県 西脇市駅[/googlemap]
さて、最近になってこの西脇市駅に西口を作ろう!という話が出ています。その辺は神戸新聞を参照のこと。なぜこういう話が出てきたかというと、駅の出入口となる駅舎やロータリーが従来の市街地側にあたる東側にしかなく、茜ヶ丘などの新興住宅地や最近出来た商業地区は西側に集中しているからです。つまりは駅の向きと人口が一致しなくなっているということです。なので利用しやすいように西口をつくって外から来た人にも、そして市内の人にも利用しやすいようにしよう+地区を活性化!というわけです。
こう考えると最もだなぁと思うわけです。神鉄粟生線などあまり公共交通、鉄道への関心が薄くなりがちなこの地域で駅をどうにかしよう、もっといい街にしようと考えてる人がいることに嬉しく感じてしまいます。鉄道ファンの自分もいい案だなと思うのですが、ちょっと冷静に考えてみることにしました。
駅の西側は以前は田んぼが広がり人家がぽつりぽつりと言った具合でしたが、最近は利便性から次第に分譲住宅などが増えてきています。既にだいぶ家が建ってきているので、広い道やロータリーを作るには多くの費用がかかります。記事によると数十億だそうです。
そんなお金、税制なんの市には“はいどうぞ”とはいきません。そしてこれは鍛冶屋線がなくなった影響でしょうね。それだけの投資をしても利用者は増えないという駅から離れた地域の方の意見もあります。こういう意見が出るのはもっともで、1つに「市内での移動が見込めない=鉄道を日常的につかわない」ので必要性が薄くなり優先順位が低くなるということ、2つ目にそもそも費用対効果が見込めないということです。私が考えるところ、どちらもその通りでだと思います。
では何もしない?
ツイート
10月31日24時を持って閉鎖される赤川仮橋を約10年ぶりに渡ってきました。
前は大学1回の時なので2002年だったと思います。その頃の赤川仮橋は床板が木で隙間から水面が見えるという都会の橋では普通味わえないだろーという橋でした。大阪らしく?その上を自転車が普通に走ってました。
あれから10年。ついにおおさか東線の放出~新大阪の工事が本格化し城東貨物線の淀川橋梁も複線化が始まることになりました。これまで複線分の橋梁の片側を人道橋「赤川仮橋」として使用してきましたが、これで本来の用途として使われるようになります・・・めでたしめでたしとは言い難いのが現状。なにせ84年間も人道橋として利用されてきたので地域住民にとっては生活道路と化しているのです。市もなんとか人道橋を新設と考えたそうですが、財政難などで断念。閉鎖後は930m上流側にある菅原城北大橋を利用するようにとなっていますが、車ならいざしらず人と自転車には大変利用しづらい環境になりそうです。
訪ねたのは9日水曜日。台風24号が日本海を進み朝方は激しい雨と風になりましたが淡路に着くと次第に晴れてきました。予定では到着して直ぐに新座からの列車を撮れるはずだったのですが、中国道集中工事と中央環状の渋滞で遅れて橋到着前に目の前を走り去ってしまいました。そんでもって札幌からの臨貨もなかったようで来ず。結局昼の83レまで待ちました。平日&台風ということで同業者さんは数人ほど。あとは橋が通れなくなるということでツアーのような感じで来られている方や元々近所に住んでおられた方など。鉄道ファンでなくても珍しい橋が渡れなくなるということで来られているようです。
右岸より伊丹着陸に入る全日空B787
(さらに…)
美濃赤坂の西濃鉄道の夏その3です。今回は石引神社での撮影の後、廃線となった昼飯線を辿って昼飯の方に向かいました。
中山道を西に向かうと途中に使われなくなった踏切に差し掛かる。これが廃線となった昼飯線で写真は美濃赤坂方を写している。昼飯線は美濃赤坂駅南から分岐して美濃大久保駅で一度スイッチバックして昼飯に向かっていた貨物線。踏切から北に伸びる線路を辿って行くと雑草が茂ったやや広い敷地になり、その先に線路端に上屋と少し離れて倉庫のあるプラットホームがあった。
どうやらこれが美濃大久保駅だったようだ。かつての構内は一部を除いてレールが残されているようだが夏草が茂って見渡せなかった。プラットホーム部分は複線のようになっていて、どうやら貨物積み込みホームと機回し線になっていたようである。ホームの先にも少し線路が続いて壁にぶち当たっていた。
木々の成長を見ると休止→廃線となってからの年月を感じさせる。
まっすぐが美濃赤坂方面。右にカーブしていくのは昼飯方面
美濃大久保駅跡から昼飯までは先ほど進んできた中山道に沿って進む。線路跡沿いには石灰関連の工場が立ち並び構内の一部と化している部分もある。そうした部分や踏切だったところは埋められたりレールが外されたりしていた。
暫く進み地図上では昼飯駅のあっと地点近くまで来たはずなのだが、かつての駅に入る道がわかりづらい。これじゃないかと思われる住宅などに囲まれた脇道に入って進むとそこにあった。昼飯駅駅舎。もう駅ではないので“かつての”が付くか。
駅舎入り口上には“昼飯駅”と書かれた木のプレートが架かっていて駅舎だった事がわかる。駅舎の後ろには物置として使われていたであろう貨車があった。構内は踏切部分の線路が取り除かれたほか、駅舎以外の建物も撤去されたいてレールだけが残された状態となっていた。線路には夏草が茂り特に末端部分は近づけないほどになっていた。線路末端部分から少し山側に向かう道を進むとかつての鉱山の建物が残っていた。この辺りには鉱山鉄道があったとの情報を入手していたので回りを見て回ったが、残念ながらこの時は見つけることができなかった。駅周辺はかつては鉱山関係で賑わっていたようだが、今では数件の工場と住宅が広がるだけで、かつての賑わいは過去のものとなっていた。
(さらに…)