そこはかつての線路の終り 陸と海を繋ぐ場所 ~高砂線~

加古川線系の路線の中で最も南に位置していた路線が高砂線

かつて加古川の水運に替わる輸送機関として位置づけられた高砂線を始めとした路線は川にほぼ平行して路線が敷設された。高砂線は内陸の物資を高砂港から海運に引き継ぐ路線であった。内陸との貨物のやり取りがなくなっても、高砂線は臨海工業地域の路線として貨物の輸送は続いていたがモータリゼーションや貨物の縮小に伴って加古川線のグループでは最初の1984(昭和59)年に廃止された。

高砂線加古川橋梁跡を望む今回は加古川右岸から高砂港までを辿った。

加古川右岸 加古川には何も残っていないが隣の道路にはコンクリート橋が遊歩道として使用されています。

高砂線朝日町架道橋銘板下の道路に回ると銘板が見れます。大阪鉄道管理局とあります。

山陽電車高砂駅前高砂北口駅跡上は山陽電車の高砂駅 右側の建物の裏が下の写真で高砂北口跡から加古川方を望む。

廃線跡は山陽電車の高砂駅前の建物の裏を自転車置き場となって進みます。ここはかつて高砂北口駅がありました。

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(さらに…)

加古川橋梁上の阪神8235F赤胴車と山陽5020Fラッピング車

山陽電鉄加古川橋梁の横で三脚で撮っておりました。

今日の特筆すべき内容は・・・

山陽5000系5020F「時のまち、あかしへ行こう!」上り回送と阪神8000系8235F原色赤胴車下り直特とのすれ違い。

山陽5000系5020Fと阪神8000系8235F阪神8000系8235Fと山陽5000系5020F

8000系の原色車は既に希少種。ちなみにこの日は殆どがリニューアル編成の中2編成見かけました。そのうち1本が写真の編成。加古川橋梁といえば古くて重量制限があるとかないとか言われ、橋梁上での行き違いはないのかなと思っていたのですが今回両編成とも6両で一方は鋼製車と線内編成ではかなりの重量になるはずなのに対行していったということはそれほど問題では無いのかもしれません。

すれ違う瞬間はスミマセン 失敗しました。

加古川を渡る阪神1000系上り直特そしてこちらは本日の銀直こと1000系直通特急

夕日に輝く下りN700系〆は夕日に輝くN700系

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