大晦日 北部と南部の境界線の多可町

多可町は基本的に兵庫県南部に位置しています。ですので基本的に冬場も大雪は滅多にありません。

そういっても北部に近いですので南部沿岸と比較すれば雪は多い方でしょう。

同じ多可町の中でも南北に長いですので天気は大きく変わります。

旧中町は南よりですのでそれほど雪は降りません。それはどちらかというと風上に笠形山などの山が多くあるのも理由かもしれません。

旧加美町の加美区は北に行くと極端に天気が変わります。中区でも真ん中を境に北はやや降りやすくなるものの加美区ほどではありません。

多可町加美区新松が井の水

31日の場合、中区は昨日の雪と山の木々が白くなっている程度ですが、加美区も少し山よりの松が井の水方面に入ると写真のとおり雪で真っ白になります。

多可町加美区轟地区を望む

多可町加美区轟地区を望む



国道427号線筋は比較的雪は少ないですが、轟集落あたりより北は次第に雪が多くなってきます。特に清水(きよみず)より北は急激に積雪が多くなります。このあたりは山の反対側が生野方面に接して北部に一番近い領域になります。北西の季節風が比較的高い千ヶ峰などに雪雲がぶつかって雪を降らしているみたいです。標高が高く気温も低い上山が迫って日照が少ないですので降った雪が解けない条件もそろっています。

雪の大晦日 道の駅R427かみ

雪の大晦日 道の駅R427かみ



こうしてみると夏の天気も面白いですが、冬の天気も地形や風など夏とは違った状態が見れて面白いと思います。

ただし、ここに記しているように冬の内陸はちょっと行くと大きく天気や路面状況が変わりますので、無理の無い運転と滑り止めの準備をお勧めいたします。

くれぐれも安全運転で事故の無いようにお正月を過ごしましょう。

2010年終了

2010年はお世話になりました。

サイトの質の向上と更にお役に立つ情報を載せて行きたいと思いまので2011年もよろしくお願い申し上げます。

加古川線第3加古川橋梁完成供用開始

12月26日 加古川線第3加古川橋梁完成出発式が西脇市駅で行われ、6時58分発の谷川行きワンマンカーに記念列車として103系3558「走れ!Y字路」が使用された。

新第3加古川橋梁完成出発式 第3加古川橋梁完成出発式の様子

完成式には西脇市長や地元町内会、市議、県議ほか関係者が参加された模様(広報情報による)。1日駅長も選ばれていた。祝辞のあと1番列車の運転士に地元の子どもから花束の贈呈が行われた。

1番列車は走れ!Y字路103系3558日曜ダイヤの為、1番列車は6時58分発谷川行き。通常西脇市以北は125系単行で運行されるが、今回は記念列車と来賓者や関係者も乗られるということで使用された車両は103系の2連。それも3558の「走れ!Y字路」が使用された。谷川行き1番列車

日の出前の西脇市駅 日の出前の西脇市駅構内

新第3加古川橋梁の説明 新第3加古川橋梁の説明

新第3加古川橋梁

新第3加古川橋梁103系1番列車えらくピンボケ。ミスって自動に設定したらシャッター速度が遅くなってこんな状態に。ほかはもっと悲惨な状態。自動では連写も効かないってどうよ。さて、こんな大きな橋梁に普段は1両ってちょっともったいない気もする。橋にふさわしい長編成を入れると変電所も軌道ももたなさそう。

番外

早起きしたので谷川まで追っかけてみた。すると船町口のセブンイレブンで時刻表を見ていると対岸に103系の姿が見えた。先回りできるかとがんばってみるが、踏切で結局止められてしまう。

西脇市以北を行く103系3558

先行されたので谷川で10分停車で折り返す列車を篠山川橋梁で待ち受ける。

加古川線篠山川橋梁連写で撮ったのにせっかくの真ん中付近を逃してしまいこんな感じに。

次は・・・とは言いたくても103はほとんど入らないからいつになるだろ。

第3加古川橋梁完成式

加古川線の第3加古川橋梁完成式

兵庫県北播磨県民局

ホワイトクリスマスの多可町

記憶にあるには15年ぶりくらいぶりにホワイトクリスマス。

前は確か95年か96年の12月のクリスマスのころに大雪になった記憶がある。

クリスマスといえば日本ではイチゴの載ったケーキ?

2010年12月初雪

露地物のイチゴは写真のとおり寒い冬を必死に耐えているので実るはずも無くビニールハウスの産物。

ケーキといえば昨日は帰るのが遅くなってカレーだけで済ましたので今日食べることに。寒いのでちょうどいいかもしれない。

昨日帰るのが遅くなったのは・・・

HPの午前はプログラムの更新、午後はブログの取り扱い説明書とネットショップの設定をしていたから。

プログラムの更新は従来のドットインパクトからカラーレーザーに合わせてのもの。納品書の仕様も変わるのだけど窓空き封筒と納品書のサイズが微妙に異なって苦戦。実のところまだ若干遣り残している状態。

ブログの説明はメインとなるページは従来の仕様に合わせてホームページビルダーで更新しやすいように従来形式を踏襲。ブログと問い合わせのページはWordPressで作ることに。WordPressは慣れていると自分で好きなように触れるので便利だけど、ブログに不慣れだとはじめは戸惑うかも。その辺を踏まえたうえで作成。

ネットショップの方は、似たようなページをコピーして作成したもののChromで見たときにカラムが崩れることが判明。原因はfloatがleftになるべきところがcenterになっていたこと。しかし、それを直すと今度はページのトップに?が出現。見るとタグにも何故か?が出現している。そこでbody部分を括っているcenterというタグにmargin-topを指定してみると解決。とりあえずトップページもずれていたので気になっていたページも直すことに。

続いてショップページの作業に移るが中身を見るとテーブルだらけOTZ

実はテーブル苦手なんですね。何でって見かけと順序が一致していないことが多いから。

ということでサイドメニューをそのままに中身をdivで区切りなおすことに。

これが思いのほか時間がかかって気づけば21時。頼まれていたことにチェックなどをすると21時半。

普段から夜の早い街に加えてイブの夜ということもあって帰りはいつも以上に車が少なかった。

そして国道427号線を西脇市を過ぎて多可町に入ると前をちらつくものが・・・

初雪でした。イブの夜の贈り物 こんな1日もいいのかもしれない。

繰り返されるのか? 鍛冶屋線の二の舞

12月16日付神戸新聞社会面の記事「地域公共交通 再生へ 1」として神戸電鉄粟生線の存続問題が取り上げられた。

2年後の国の補助金打ち切り。地方公共団体の厳しい財政状況。自動車への移行。

高齢化を控えるこの国の将来において公共交通は更に重要になっていくのにか、鉄道の将来は非常に厳しくなってきている。

記事にもあるが廃止で思い起こされるのが鍛冶屋線。

最近の三木鉄道。

後者は生活圏と一致していないという致命的な問題があったのでそれほど問題にならなかったが、鍛冶屋線は異なる。

鍛冶屋線の廃止は現在に至っても西脇市に大きな影響を与えているといえよう。

中心市街地から鉄道が消えることは即ち外との繋がりが切れるに等しい。

鍛冶屋線がなくなり、駅という人が集まるところが消えるとともに中心市街地はどんどんと衰退していった。一方で車社会に適応した周辺エリアに店舗や住宅地が集中するドーナツ化が顕著になった。

バスターミナルは旧西脇駅跡に出来たものの、バスと鉄道という公共交通の要が分散したために利便性が損なわれた。

粟生線は当時より深刻かもしれない。マイカーの普及と人口減少、バスへの流出。

地元住民の選択肢として鉄道がオンリーで無い上に、そもそも選択肢にもはいっていない状況になりつつあるのかもしれない。

そのことはこれほどまでに問題になりつつも地元の反応が今ひとつ鈍いことからも伺える。

皮肉にも広島の可部線は廃止区間の一部を電化復活させる動きがいよいよ現実になろうとしている。

今、公共交通としての鉄道を見捨てるのか、それとも将来にわたる公共の財産として残していくのか。

判断が迫られている時が刻一刻近づいている。