粟生線を補助をしても乗らなければ意味がない

久々に神戸電鉄粟生線について書こうと思う

少し前の神戸新聞に大阪大学コミュニケーションデザイン・センター教授の森栗茂一先生が執筆された記事(コラム)があった。

内容は前々からこのブログでも言ってきたし考えてきたことと同じ部分が多かった。

結論の部分を要約すれば・・・

鉄道を活かしたまちづくりをしないと補助や制度だけでは存続する意味は無いと言うこと。

結局のところそこなんですよね。残そうとして幾ら補助金拠出や赤字を負担しても「鉄道」を使えるそして使いやすい街にしない限り利用増加には結びつかないし存続には繋がらない。鉄道という輸送機関は乗る人がいてこそ存在価値があるというもの。

今の粟生線活性化協議会は確かにいろいろな運動をされてきた。しかしながら現状のこれまでの結果を言えば協議会ではなく「活性化議会」に甘んじていたのではないかと思う。もっとも協議会だけに責任を押しつけるつもりもない。

先に行っていたとおり鉄道という機関交通となれば行政がまちづくりの一環に組み込むべきものだからである。つまりは行政と市民(住民)・利用者が1つにならなければ意味を成さない

コラムでも記されている通りひたちなか海浜鉄道や震災で被害にあった三陸鉄道、和歌山電鐵など沿線住民と企業、行政が一つになって活性化、復活しようとしている路線がある。鉄道には自動車交通で代え難い価値がある。無論存続させていくには費用がかかる。しかし、本当の価値を見いだせるのであれば粟生線は存続させるべきでありその価値もあると思う。

そうしたことを考えると、三木市と小野市による新病院の建設は理解しがたいものがある。幾ら幹線道路に近いからと言って、山を切り開いて公共交通機関のないところに作る意味というのは何なのだろうか?

病院のというものは都市設計の上でも重要なものはず。駅からも遠く、既存のバス路線からも離れたところに作って幾らコミバスを走らせるとしてもそれなら何故既存の交通機関の近くに作ろうとしないのか理解しがたい。

鉄道利用、もっといえば公共交通機関の利用者減少にはこうした行政側の都市計画による影響も往々にしてあると考えられる。

活性化協議会が解散される前に、都市計画や地域住民を巻き込んでの活性化活動を起こし鉄道の意義を再認されることを願わずいられない。

ちなみに・・・

11月の3日は奈良大学学祭に行く予定ですが、当日は西脇市-加古川線-粟生-粟生線-新開地-神戸高速-三宮-阪神線-難波-近鉄奈良線-大和西大寺-京都線-高の原 のコース予定です。これだと粟生から高の原までPiTaPaカード1枚で行けるのですよ。おまけにいろんな電車に乗れるメリットもある。

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