道路と高速道路と鉄道の価値

国鉄時代 いやそれ以前から地方でよく見られた「我が町にも鉄道を!」

我田引水ならぬ我田引鉄とはよくいったもので、自家用車が普及していない時代に鉄道というと陸の主力交通であった。

町の発展には欠かせなかったのである。だから挙って鉄道を敷こうとした。鉄道を敷ける 鉄道が通っている 駅があるというのは地方の町や村にとってはステイタスでありシンボルになった。他に交通手段がなければ人はそこに集まった。町の玄関口になった。

時が移り自家用車が普及してくると高速道路の建設が盛んになった。

高速道路は一般道よりも建設コストもメンテナンスも大きくなる。一定の需要と重要性が無ければ建設されない。町への入口はICなどに限られた。一般道より高速で多くの物流を支えられることからも町に高速道路が出来、ICが作られることは町の付加価値を高めやはりステイタスになった。

鉄道、高速道路はそれぞれ同じような価値を持っている部分がある。そして両者の共通点として「地図に掲載される

特に鉄道は明確に掲載される。これは高速道路には無い意味がある。

それは公共交通として明確にそこに存在していることが見て取れるということ。高速道路の場合、ICはあるがそこに公共交通の高速バスがあるとは限らない。しかし鉄道駅は明確にそこに公共性を持ち、人が集まる地点が存在する。だから広くシンボルたり得る。

もっとわかりやすく言えば一般道の路線バスがいくら頑張ろうが国土地理院発行の地形図には停留所もバス路線も掲載されないが、鉄道駅は記される。それだけランドマークとしての意味が強い

前の投稿のコメントでも寄せられている通り、不動産にしても駅を基準にしていることが多い。

いくらバスの利用の増加や自家用車の普及が進み人口が減っていなくとも、「鉄道が廃止になる=地域の衰退」と捉えられるのが一般的だろう。そう考えれば現在利用者が少ないからと行って急ぎ「廃止」の判断を下すのはあまりに危険すぎると思う。これは廃止を前提にしないという意味ではなくそういうリスクと損失があることをよく考えて早急な対策をうって行く必要があるということで、近日中に2度前の北播磨の市町と県の粟生線対策会議が開かれるようなので期待したいです。

コメント




利用者が少ないから廃止になるのではなく、(事業者にとって)経営が成り立たないから廃止になるのではありませんか?

いまの時代に「鉄道がなければ」という考えが陳腐なものにも思えますが・・・・・いかがでしょうか?


  (引用)  (返信)

2011年7月13日01:38| STOPOVER




STOPOVER 様 貴重なご意見をありがとうございます。

まず最初の一文についてですが、そういう考え方もできると思います。鉄道に限らず利用者が多いにもかかわらず収益に繋がらなかった例や繋がらなくなりつつあるものは存在します。
もっとも、一般的に鉄道についていえば一定以上に利用者があれば事業として成り立つものです。ただ、その条件は環境により異なります。仮に同じ輸送量でも平坦な区間を直線で結ぶ路線と、山がちでアップダウンの多い路線とでは軌道の保守や消費電力も異なります。後者のような路線において道路が公金で整備されハード部分の負担が鉄道より少ないバスが競合すれば客を奪われ事業としては厳しくなるでしょう。ただどのような条件にしても基本としては利用者が少ないことは必須条件といってもいいレベルだとは思います。なぜなら競合するバスとて利用者がいなければ廃止になります。つまるところは利用者の数になると思います。

2つ目についてです。
最近は考え方や価値観についても多様化してきているので、ある特定のものを特別視するような減ってきたいる、または変化していると考えればそういうこともあるのではないかと思います。
つまり「何も鉄道に固執しなくても代替交通機関は存在する」ということです。以前、これについては、粟生線の志染~粟生をフィーダーバスや現在の路線バスの停留所などの設備強化を行って置き換えてはどうかと記したことがあります。つまり鉄道という括りではなく、公共交通機関という視点で見ることにより、その輸送需要や軌道や道路環境、人口分布などにあわせて最適なものを採用し組み合わせるというものです。考え方次第で非常に効率的で面白いものになると思う一方で、鉄道会社もバス事業者も民間企業である以上は競争があります故、その調整は簡単なものではないと思います。

鉄道は特別な存在ではないと思います。一方で都市部からすれば鉄道が維持できないということは衰退と写っても発展とは見えないでしょう。価値は下がっても上がることは基本的にないでしょう。
「鉄道が」と言わなくても公共交通が維持できないと見られることはプラスには見られません。
地図から消えるということは想像以上に影響が出るものです。そしてその公共交通を生かすも殺すも行政の政策と住民の意識と行動次第です。
廃止したことによるマイナスの影響とその交通機関を維持する負担+将来の地域の環境をシュミュレートした上で天秤にかける必要があるのではと個人的に考えています。


  (引用)  (返信)

2011年7月13日22:55| 結崎 秀

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