廃線跡紹介は西脇市駅(当時の野村駅)から鍛冶屋駅に向けて進めています。つまりは北進しているわけです。
←左の写真はかつて野村駅であった西脇市駅です。
�この駅は駅舎側が3番線となっており通常のJRの駅とは番線の付け方が逆となっています。
現在では駅舎側3番線を加古川~西脇市の列車が、島式1・2番線は主に西脇市~谷川の列車が使用しています。
加古川線は2004年12月に全線電化され103系3550番台2連が2連または2+2の4連で、125系が単行~4連で走っています。
→加古川線は加古川を渡るためカーブしていきますが鍛冶屋線は直進していました。 西脇駅跡までの途中には踏切跡に一部補助レール?が残っています。
←西脇駅跡はバスターミナルとマンションやホテルなどができています。バス路線は西脇から周辺市町へゆく路線や三宮、大阪、明石方面 に伸びています。大阪方面へは毎時約1本(一部無い時間があります。)で電車利用より安く早く着きます。また、大阪最終は新大阪発 となるものの電車より遅く発車することから便利です。でも、西脇での接続は絶望的です(´・ω・`)
→旧西脇駅東側にある三差路の名前。未だ“駅前” のままです。比較的新しいので廃止後に付けられたものと思われる。駅が存在したことを今に伝える貴重な存在でしたが、今は北本町に変えられてます。
←西脇~市原の杉原川と崖の間を通っていた区間です。 崖は一部が削られ廃線跡は2車線片側歩道付の道路となっています。この区間は比較的近年まで当時の面影を保っていましたが現在では 国道を短絡する道として車や高校生の自転車が多く通っています。
→市原駅にはキハ30系が2両保存されています。 以前一度塗装が塗り直されて綺麗になっていましたが、日常的な整備がなされていないため徐々に車体がくたびれてきています。 駅舎は現役当時の状態を再現したものが復元され内部は鍛冶屋線の資料が展示されています。入場は無料でかなり貴重な資料も見ることができます。
←市原駅を過ぎて国道との丁字路信号を過ぎると遊歩道と なります。若干の鍛冶屋側に向けて上り勾配を登っています。遊歩道は地元の方の散歩や高校生の自転車など通学によく利用されています。 鉄道が走っていたころもその利用者は通学が多かったと推測されます。直線を2㎞程進むと羽安駅跡に着きます。羽安の名前はからではなく 2つの集落の頭文字からとってつけられたとか。結局は駅名からその土地の名前となり路線が廃止となった今でも地名として存続しています。 駅跡の東側は田んぼが広がり、西側に短い駅前通りと集落があります。ここを過ぎると西向きにカーブし信号を過ぎると2車線両側歩道付の 道路となります。ここから曽我井までの区間は近年まで路盤が残った状態でした。なお、2/3の地点に多可郡多可町(旧 多可郡中町)との境があります。